先日、こういうトラブルの相談をされた…

受入企業向け

3号へ移行することを確認し、雇用契約の更新を改めて締結した。
一時帰国のため、日程調整し、往復の航空券を買った。
しかしながら、やはり帰国するとのこと。

期間満了の帰国と、一時帰国とでは、日程が違うのかもしれない。
(手続き進捗上の3号移行の許可のタイミングとかね)

結果、航空券の日程変更にかかる手数料について、個人の都合による変更のため、
本人に負担を申し出た。
もちろん、航空券代自体は受入先負担なのだけど、「実習生なら何でもアリ」がまかり通る社会ではない。

後日、機構から○○さんと面談したいと連絡がきた。

どうやら、先の件が納得いかず、相談したらしい。

 
さて、敬愛なる皆様、どう思われますか?

その場での私の返答は、思考停止して、「結論は機構の判断に従うしかない」との返答に留めていましたが、
後々で落ち着いて考えてみると、
そこでは大勢の同様の実習生がいるし、ゴネ得を通して良い事は誰にとっても何の利もない。
(当のゴネてる実習生に対してもゴネ得がまかり通った経験がその後の人生に好影響を与えるとは思えない)

 
先日の内閣改造にて、新たに職に就いた法務大臣の訓示の中で、
こういう言葉があった。

「公平で公正な社会を実現する」
理不尽な目に遭う方がいっぱいいるわけですよ。
努力しても報われない方も大勢いるわけですよ。
そういう中で、公平であれば、公正であれば、その結果我慢できるかもしれません。
でも、思い通りにいかないことがほとんどじゃないですか、人生はね。
だけど、何とか頑張って踏ん張れるのは、公平・公正だから頑張れるわけですよ。
国民もきっとそれを望んでいると、私は拙い政治生活の中で感じてくる部分がありました。

公平、公正な社会であることを実体験することは、
どんな技能実習よりも、人間形成上、大切な事。

それでも、法社会の限界を感じるのは、
「”法に書かれてあることの下の”公平、平等」であり、
千差万別の背景や諸事情がある中、
入管行政などでは特に「裁量権の幅」なる融通や忖度が良心的に機能することを目指している。

ただ、実際には、役所の組織の理屈で「幅」が運用されている現実も知っている。

 
話を元に戻す。
機構はこの際、どんな判断をするのだろうかと推察するに、
「相手が面倒な筋や法的根拠を主張してきて、機構があらがえない理由がある場合は、実習生を諭すように対応する」
「相手が思考停止して機構様の仰せの通りでございます、ご判断には従います…の場合は、変更手数料も払って上げてくださいと指導してくる」
のではなかろうかってこと。

もちろん、機構の担当職員の人間性やいわゆるレベルによって、諭し方や説明の仕方、判断の在り方は異なっていく。

法務大臣が訓示する公正で公平な世の中をどれだけ実現しようとしていても、
そうなっていく。

役所の理屈として、
「個別具体的に残念な監理団体の対応をこれだけ改めさせたったぜ!」って指導実績や、
「実習生保護のためこれだけの救済を指導したったぜ!」って結果を上司に報告せねばならなかった場合、
強く言われているときといない時とで、さじ加減もまた変わっていく。

 
まったくもって、この業界は色々と難儀するケースは多い。

だから、法がどう変わろうとも、現場では「自分たちがどうあるべきか」の信念を貫く以外、
拠り所も、一貫性も、現実としての信用も信頼も、得られるものではない。

法はどこまでもガイドライン。
当然、尊重すべきであり、守ることが前提ですが、
法が全てを解決してくれるワケじゃない。

そこにいる人以外、当事者以外、最適解を見出せるものではない。

私が思う”踏ん張れる理由”は、
「自分がこうあるべきだと道を定めて、ソコに忠実に歩んでいけるかどうか」こそが、
この業界での正しいあるべき道の歩み方だと改めて感じた次第です。

もちろん、金の亡者が金を最優先に定めているなら、
金を最優先にしている者同士で勝手にやっててくれればよい。
(法に触れるかどうかは、役所が判断してればよい)

私は私が思う道を行くのみだし、そこに共感、賛同くださる方々と共に歩んでいくだけのことだから。

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自分で言うのもなんですが、業界人は特に、無料登録しとくと良いと思います。
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