「単なる数字」じゃなく「一人」の人間と寄り添うという仕事

お金

ミンナ目の前の自分の仕事に一喜一憂して、
毎日を過ごしている。

仕事柄、どうしても一人ひとりと丁寧に寄り添うことなど、
トラブルなどがあったときくらいしか、できる機会もない。

まして、本人にしても毎日一緒にいられてもウルサイとしか思われない。
要があったときだけ頼れればそれでよい。

それでも、トラブル以外で、
一人ひとりと丁寧に寄り添う機会はいくつもある。

人選の時。
雇用契約の説明の時。
入国の時。
配属の時。
その後の検定手続きや、在留資格変更や更新。
月イチの訪問時も同じ。

ナゼ、一人ひとりを丁寧に接していかないといけないのか。
全ては自分のため。

相手に喜び、感謝してもらえると、自分が嬉しいから。
相手の問題を解決してあげられると、
自分が確かに相手のために役立っていると感じられるから。
技能実習生や特定技能の方々の個別の問題を解決へと導くと、
受入先にも感謝されるから。
人の役に立っているからこそ、
自分にその仕事が与えられているのだから。

 
この仕事は、それだけでも十二分にヤリガイを感じられる。
ただ、給料が安い。
受入先にとってこんなにも目に見えない大きな利益を生み出しているにもかかわらず、
利益という数字には、間接的にしか反映されないから、
評価されにくい。

総務系的な、やって当たり前、やれなかったら給料ドロボーって見られる面もあるほどに。

 
大人数をケアしている監理団体、登録支援機関の場合、
特に経営者や中間管理職にありがちなのは、
相手を一人の人間だという認識がズレていくということ。

一人ひとり丁寧に寄り添っていくという事は、
職員の労力を取られ、コストを費やされ、
儲けに繋がらないという視点が強くなること。

それは、一人で何十人、何百人も面倒を見ろということ。

さらに見えていない大きな問題としては、
ソレを一職員の能力や人格に「丸投げ」してるという事。

監理団体も登録支援機関も、
経営者は一人一人の職務分掌をしっかりと具体的に言語化できていない
業務棚卸自体が、現場も知らない経営者にはデキルはずもない。
特に百聞は一見に如かず的に、肌感覚が理解できない。

 
稼ぐには、給料を上げるには、
売上の積み上げ方を活動原資の根拠とすれば、
単価×客数(人数)×頻度…
この3つのパラメーターが基本。
つまり、
単価を上げるか、
人数を増やすか、
頻度を増やすか…となる。

これらのパラメーター数字を変えられないならば、
この業界の領域外で数字をのし上げればよい。
または、
もっともっと業務自体を効果的、効率的、経済的にブラッシュアップすればよい。
(=コレらを本日夕方のセミナー内では、「協業」といったり「生産性の向上」と言ってます)

経営者はたいてい、井の中の蛙である場合は多い。
同時に、自分は十二分に経営者としての業務をこなせている…
そう無意識にも自覚している人は多い。
(いつもながら、ホント、自分へ言い聞かせています💦)

つまり、自分にもっと取り組むべき優先順位の高い、
根本的なモノがあると、気づいていない。

もしくは、気づいていても、
やり方がわかっていない。
できるワケないと、頭っから決めつけてる。
諦めてる。
転じて、オレサマ、十分、今、デキてる…って変換されていく。

 
今の時代、右を見ながら左も見れるやり方なんて、
いくらでもある。
いや、実は昔からたくさんある。

ひと、一人と寄り添う仕事。
だからこそ、厳しくも誇らしい仕事。
であれば、給料もまた評価され、ついてきて欲しい仕事

目に見えない、周りと比較しにくい部分だからこそ、
少なくとも、昇給を目指すヤル気のある人財が正しく育つ社内体制の整備は、
今どき、自ら襟元を正していかねば、
この先の現場は正常に機能していかないと思います。
=この先もっと、一人ひとり(一社一社)に十分には寄り添えなくなってく。
=トラブルだらけになっていきます。

国を変えても、送り出しを変えても、
トップが変わらねば、組織なんて変わるワケがない。
経営者の器の大きさ以上に、組織は大きく成長しないとは、
昭和以前から、令和の今も変わらない現実です。

人材育成は儲からない…
教育自体はカネにならない…

Iot化が進み、AIもドンドン日常で身近になってきている今、
この先、この業界で、ココしか人が介在する価値ってないと思います。

カネ優先のブローカー仕事のようなテキトー無責任なやり方じゃなくても、
給料を無理なく分配していけるやり方があるってコトを、
多くの業界人に知ってもらえることを願ってやみません。

 
技能実習/特定技能業界「健全化」支援セミナー(協業編)
~監理団体、登録支援機関、士業の方へ~
 

 

コメント

タイトルとURLをコピーしました