育成1級2級3級の違いを定めたい…とさえ思う

受入企業向け

業界人はこぞって育成って言うけども、
人それぞれに言ってる育成の程度の違い、
実力の違い、実績の違いを明らかにしたい。

つまり、金目当てだけのブローカーと同じ目で見られたくないから。

有料職業紹介として、単に就労希望者と受入希望先とを、何のスクリーニングもなくくっつけただけで金を取る連中に育成なんて使って欲しくないし、
ボランティアかと親身に夜中や土日だろうと走り回って重たくシリアスなトラブルの仲裁と解決にリソースを費やし続けてる人は、内容によっては根本的に人が社会で生きてく上での育成をしている場合だってある。

それこそ、ここは価値のあるものと思われ、ぜひ有識者会議で議論の末、定めて頂きたいくらい。
しっかりと言語化して欲しいと思う。

日本語を効果的に指導育成できるコンテンツとその仕組みを築き上げ、
僅かなリソースで現実的な最大公約数の量産をしてる先も育成と言えるし、
不透明な部分だからと明らかに不十分なのに薄いコンテンツをただ提供するだけで金儲けしてる先も、
セールスだけは上手いので、情報弱者、リテラシー弱者を手玉に取って実質は僅かな量産しかしていない先こそ、育成って叫んで掲げている。

いったい、何をもって育成というのか。

単に制度が示す日本語検定と指定された技能検定を、ただただ合格することだけを、育成といえば、本当にそれでいいのか?
現場では、本当にその育成を望んでいるのか?

結論からすれば、1級2級3級なんて概念は、一律で定めれば良いものではない。
だけど、ルールなどはガイドラインとして効果的なのも事実。
ならば、一つの型を提示していくのも、ルールメイカー側の業務の一般といえる。
型ありきの型破りは、こういった部分でも応用は効く。

何よりも、型といたたき台があるから、人はとっつきやすくなる。
それを基に、育成先で、自社なりの育成段階を定めるのに、使える。
結果、全く違う型になろうとも、そこにたどり着くまでの大事なスタートのキッカケになるから。
 
 
 
ここ数年、思うところがある。

ダーウィンの進化論曰く、変化に対応できる種(人)が生き残るとのことですが、
変化に対応するには、
その変化の動きや、どこへ向かっての変化が続いているのかを見極められないと、対応なんてとても無理。
まして、そのスピードが今迄の比じゃない速度で進む今は、先を見て先手を仕掛けていかないと、自身にとって少しでも望ましい変化へとの流れを生み出すこともまた、とても無理となる。

変化の進む先を見極めるためには、常に世界情勢と国家権力の動きと、社会(現場現実)視点としての情勢など、定点観測しておくべき観点はいくつもある。
もちろん、自身と周りの人たちの心情や考え方、姿勢の変化も足元の動きとして必須。

センスのある人、成熟した人、俯瞰して全体最適像が見えて尚且つ部分最適もケアできる人…色々とあるけども、要は頭脳労働ができる人でない限り、変化なんて見極められない。

そして、たとえ変化を正しく見極められた人であっても、率いる組織を、周りの方々の個々の半歩先、一歩二歩先、数百歩先を上手に導けない人であったなら、見極めた変化も実際にはへの役に立たない。

更には、十分なまでに、間に合わせていくためには、リソースも必要となる。
そのリソースを用意できねば、コレも絵に描いた餅としかならない。

賢い人、強い人ではなく、変化に対応できる人が…と言うけれど、
実際には、賢さも強さも全部持ち合わせた人でないと難しい。

正しく(適正)、適切に、育成を実現していくには、
育成する側には、本当に広範かつ多大かつ重厚な成熟度合いが求められている。

そのための手段として、環境と習慣整備を、常に改めてコーディネートし、ブラッシュアップを図っていかねばと、改めて強く思った、今日この頃。

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自分で言うのもなんですが、業界人は登録しとくと良いと思います。
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