私たちが普段から自然としている事は、決して「法が定めているから」じゃない

受入企業向け

以前も書いたけど、久々にもう一度?書いてみる。

ここ数日、ヘルニア再発にて気晴らしに見直していたお気にのアニメ作品で、
キリトが言ってた言葉は、何度目でも、本当にこの業界で身に染みる言葉でした。

ノブレス・オブリージュ
Noble Obligation

貴族、つまり力ある者は、
ソレを、力なき者のために使わなければならない。

誇りと言ってもいい。

その誇りは、どんな法や規則よりも大切なものだ。

たとえ法で禁じられていなくても、
してはいけないことは存在するし、

また逆に、法で禁じられていたとしても、
しなきゃいけないことだってあるかもしれない。

自分の中の信念、背きたくないもの、
背いたら誰よりも自分が自分を許せずにずっと引きずり後悔するもの、
そんな大切な精神のことをいっているのかもしれない。

大事なのは、
法がなぜあるのか、
自身の背けないものに照らして考えること。

従うことより考えることが大切なのかもしれない。

自分の頭で考えるストレスから逃げて、
誰かの意思決定に責任を押し付けて、従順に従う人たちが多い中、
それでも私達は、常に考えて、自身と周りの最善のために、
日々生きている現実。

考えることは、人間の一番強い力。
どんな実績、どんな事業規模、どれほど著名なのかとは、比較にならないほど強い。

 
失踪と言われる行為であっても、
ハラスメントから避難するためには、
時と状況によるけども、肯定されるべき行為と言える場合があるかもしれない。
(その前に監理団体や登録支援機関が保護すべき事態なんだけども)

妊娠問題だって、
身ごもった赤ちゃんの命を蔑ろにして自身の利益しか考えない言動には、
上手に帰国を促す行為もまた、現実的にはそうあるべきだと思う。
(首根っこ捕まえて、無理やり飛行機へ載せる行為の許容ではないことは当然として)

これらの道徳心、人として何を最優先すべきかは、
本当にその時の関係当事者にしか、判断などできるハズもない。
=ルールなんて、一般的に民意の過半数を反映した一般論の是非でしかない。
=個別具体的な最適判断なんて、一律で縛れるはずもない。

だから、

本当の意味で最適かどうかは別にしても、
せめてその関係当事者として、責任を負っている中での、
最善を尽くすうえでの判断基準は、
その方々の良心や能力や機転や知恵や工夫や経験値や、情報力などから導き出される、総合力に依存する。

少しでも年配であり、
少しでも昔からわかっている先輩たちは、
貴族なんかじゃないにせよ、
未熟な若輩を守り、導くべき責任があるって言ってるんだと思う。

若者たちもまた、ゆくゆくは、守られる立場から、守る立場へとシフトしていくのもまた、
脈々と続く人間社会の歴史が証明していること。

 
こう書くと、残念な重箱の隅をつつきたがる方々が、
法は絶対だ!守らなくても良いなんてケシカラン!
なんて言い出しますが、
そんな低俗的なことを言ってるんじゃない。

人間、一人ひとり、法で全てを決められるような存在じゃないってコト。

法はあくまでもガイドライン。
尊重こそすれ、絶対唯一無二のモノではない。

法は活用してなんぼ。
主役、主体は、「人」であり、「アナタ」なんです。

何を大事に抱えて生きていくか。
ココがない人は、振り回され、生きにくい時代なのでしょうね。

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自分で言うのもなんですが、業界人は登録しとくと良いと思います。
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