外国人と日本人がすれ違う理由、日本人が理解していない背景

余談

外国人と日本人の根本の行動原理の違いを言語化できた(一部だけだけど)

こういうのが実感もってわかると、
笑顔の量産もしやすくなるんだと思う。

 
『偏狭な利他主義』である日本人と、
『寛容な利己主義』である外国人だから、
根っこからすれ違うし、互いを理解、許容しきれない…

こんな2つのフレーズは、やはり両者の違いを説明するにも役立ちそうだと思い、
ご紹介まで…。

ピンとこない方がほとんどだと思いますので、簡単に説明します。

 
コレは、一つ例に出して、その文脈から理解の糸口を得る方が理解しやすい。

「Noと言えない日本人」

コレは、かなり前に出版された本のタイトルですが、
確かに、世界の中のガラパゴス日本では、
世界から見たときには、相対的に、こう言えるからこそ、
この本が売れました。

無論、冒頭前者の『偏狭な利他主義』の日本人を代表するフレーズのことです。

背景には、
「赤の他人は疑うが身内は信用する」という日本人独特の行動様式があり、
転じて、
「信用する身内が良かれと「おススメ」するコトに対し、NOと答えることは、裏切りに近い。」
「身内の善意を否定するヒドイ奴…」
そういう心理的無意識背景があるので、
日本人はなかなかNOと言いにくいって意味ですね。

次の機会に誘ってくれなくなるかも…とか、
そもそもが相手との空気を読めない人自体が、ハブにされていく村社会そのものですから。

 
一方、
『寛容な利己主義』である外国人は、
簡単にNOといいます。

それは、日本人であるアナタを拒絶し、排除したくて述べているのではなく、
単に、アナタにとっては「おススメ」ではあるものの、
私にとっては「おススメ」ではない場合は、ちゃんと意思表示をするのが常識であり礼儀。

つまり、私という個の尊重をしてほしいし、
だからこそ、アナタの個もまた当然、尊重されて然るべき…。

意思表示をはっきりしない行為がオカシイという常識。

 
そう、お察しの通り、

こと村社会、仲間内、特定のグループに所属している場合に限って(偏狭的)は、
利他主義…相手の全てを肯定し、必要以上に話を聞き、相手を全面的に許容する傾向の強い日本人。

どのようにカテゴライズされ、どれだけ関係性が近く親しくとも、
個々の思考や意見、価値観などをそれぞれに尊重し、
他人に必要以上に干渉せず(寛容的)、
利己主義よろしく、我が道を行くのが、外国人。

真反対といっても良い双方が、
寛容的利己主義の外国人の若者たちが、
偏狭的利他主義に染まり切った日本へやってきて、
共に働き共に暮らすのだから、
衝突や困惑があって当然ですよね。

 
コレ、情報化社会における多様性の尊重が進んでいるので、
意外とゴーイングマイウェイな寛容的利己主義の日本人もいれば、
相手の顔色を見ながら迷惑をなるべくかけぬよう気遣うのがデフォルトの外国人もいるし、
前述のようなステレオタイプで色眼鏡で見る必要もない。

だけど、
こういう違いがあるという意識だけでもあれば、
他人に優しくなれるんじゃないかとも思うし、
ソレは自分が経験してみれば、肌身感じてよくわかる。

 
外国人労働者との付き合いは、
こういうことの繰り返し。

新たな発見は多いし、
別にこんな言語化などせずとも、
実体験で身につき、条件反射で体で学習できている。

だけど、
現場で寄り添い、数々のトラブルと向き合って解決してきてないヒトには、
永遠にわからない事。

少しでも伝わると、想像できるといいなと思い、
こんなことも書いてみました。

 
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