こんなアナウンスが出ていたので、久々に職種不適合について書いてみます。
技能実習での行政処分には、職種不適合ってのがある。
計画に定められた作業に実習として従事することで、在留許可を得ているから、
定められていない作業をしたら法令違反だってヤツ。
コレは、根本的に「移民受け入れではない」と断言できる根拠として、
良くも悪くもの線引きとして、法には明言されている。
30年経った今でも、島国、村社会の日本では、
村八分というくらいに、よそ者を必要以上に警戒し、
同調圧力という集団的無意識下に支配され、
これまた良くも悪くも、共生のため、長い年月かけて醸成された暗黙のルールがある。
しかしながら、情報化社会の訪れは、
よそ者である外国人を未知の存在からずいぶん身近にしてくれた。
また、真綿で首を締める化のごとく進む少子高齢化=労働力不足は、
否応なしに若年労働力を必要不可欠としている。
日本は、「勤労の義務」の憲法違反すらお構いなしと、
多様性の尊重としてニートなどの存在を実質許容している。
人権は地球よりも重い。
つまりは、自分に適性のある仕事がないと言ってれば、
親なりどこぞのすねをかじり続けられたなら、
いや、生活保護に甘んじて働かずに生きていくことすらできる平和を手に入れた。
(適性のある外国人にも働ける権利を尊重する…とも言えるのかな)
しかし、そんな人権派でも、
だからといって無尽蔵に外国人が一斉に押し寄せてきても受け入れるべきだって主張は見たことがない。
それだけ、一定の制限下で、入国ハードルは設けねばならない現実は、
今なお、存在しているので、特だって就労目的での入国・在留には、
制限が定められている。
その温度や幅こそ、時代の流れで移り変わっていく。
ただ、この根底の背景や現実は、数十年どころか数百年スパンでなくては、変わって行き難い。
同時に、日本の中だけならまだしも、相手あっての問題なので、
結果、世界の諸情勢によっても、変化に適応するスピードは強制的に求められていく。
そこに日本側の事情でブレーキをかけるなら、世界から置き去りにされていくだけだから。
当然、それは、相対的に見ると、没落を意味する。
なので、時間のかかる行政の仕組みだとしても、
かじ取り役である政治家や官僚は、決して近視眼ではない程度に成熟している日本でもあるので、
表面に現れる「就労制限」の温度は、
「杓子定規な技能実習」から、「ふわっとした特定技能」へとの移行
が現在進行形の温度であり、幅として定まりつつある。
前置きが長くなりましたが、
この前提の上で、「歴史は繰り返す」としたら、
特定技能もまた、技能実習のたどった道を繰り返す可能性は低くない。
1.施行時、当初はふわっとした制限(←まだ今ココ)
2.虚偽隠蔽で好き放題やるヤカラが増え、結局、実地検査が必要となる。
3.実地検査時には特に、明確な線引きが求められる。
→手段の目的化が進む。
→厳格化=就労範囲の言語化が特定作業へと進む
想像に難くありませんよね。
ただ、スピードが速いので、もしかすると、
2の議論が表面化する頃には、
もう「発展的解消」として新たな制度へと衣替え=リニューアルかもしれない。
もしかすると、1→2への移行ペースもまた、
情報化社会と相まって、かつてよりも早まるかもしれない。
便利で成熟した新たな社会で、私達は、道を歩んでいる分、
特にスケジュール感的な先行きはわからないけど、
見通し自体は難しくはない。
ただ、変化についていくこと自体が、
変化を嫌う人の習性的にストレス過多であるのも間違いない。
いずれにせよ、どれだけのスピード感をもってルール改変が行われようとも、
知らなかったでは済まないのがルールだし、
ルールを守れない人は社会的に信用がない。
よって、それでも”健全に”ストレスを低減させるためには、
1.移り変わるルールを知り、
2.そのルールについていく
これらをエンドレスループで習慣化すること。
これらを無理なく可能とする環境を整えること。
そうやって、現場の肌感覚で、職種不適合という問題自体も、
しっかりとその幅感覚を管理(監理)していくことが必要だと感じています。
追伸、
「過去からの逆算」…ではなく、
イイカゲンに「未来からの逆算」で進まないと、
全てはその場限りの応急処置=バンソーコーの貼り足しでしかなく、
全体最適が崩れるばかりなんですけどね。
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自分で言うのもなんですが、業界人は登録しとくと良いと思います。
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