世の中を変える方法…僕たちはまだまだ学び足りなさすぎる

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Childhood, Child, School children, School, Happiness

世の中を変えるには、
世の中がどう動いているかを知ることから始まる。

国、政治、言語、文化、歴史が違うって現実。
世界の中で、日本は資本主義かつ、民主主義で動いている、意思決定されている。

そして、社会は様々な法律というルールで枠組みを定められ、
その中での自由を謳歌するようにできている。

世の中を変えたいならば、
ルールを作る側に回らねば、
何かにつけて、足元をひっくり返される。

ただし、
コロナを見ればわかるように、
実は法制定する側でなければ、
世の中を変えられないなんてことはない。

手前味噌ながら、解体新書企画によって、
今までどれだけの人が救われてきたでしょう。

ちょっとしたことでしかないにせよ、
そのちょっとした言動で微妙に判断が変わり、
泣き顔を見ることなくつつがなく過ごせた人たちは、
いったいどのくらいいるのでしょうか。

ふとした気づきで、自分の言動が変わって、
相手の笑顔が一つでも増やせた方は、
どれくらいいるのでしょうか。

別に解体新書企画だけじゃなくていい。

アップデートメールにせよ、
トークLIVEにせよ、
このブログ発信にせよ、
笑顔でありがとうコンテストにせよ、
誰かのほんの一言が、一枚の画像が、いったいどれだけの人を救ってきたことか。

自身の考えをアウトプットしてきたおかげで、
いったいどれだけの気づきや学びを得られてきたことか。

私がボールを投げなかったら、
返ってくるボールも一つもないし、誰からもリアクションが来ることなどありえない。

異論反論があってこそ、
初めてコミュニケーションが成立し、
私自身も成長の機会をいただけている。

世の中は、法制定する側にならずとも、
変えていけることが良くわかるはずです。

そういった現実も見える人と見えない人がいる。

世の中を嘆く人はとても多い。

個人的には、全てが自己責任だと言い続けている。

世の中に不平不満があるならば、
周りを変えていけばいい。

周りを明けられない自分ならば、
自分を変えればいい。

自分も変えたくない。
周りがおかしい。

子供じゃないんだから、
自分で何とかするしかない。

たまたまですが、
コーチングのお話を聞きました。

エフィカシー…この概念を学び、
ドリームキラーに負けない泳ぎ方を身につけ、
自身の成長を加速させるためにも、
周りをドリームサポーターにすべく、
コレクティブ・エフィカイシャスな世界を周りに作っていくことが、
(自らがコーチングの先生になって、周りを変えていく、そんな人たちで周りを固める)
イチバンのミソだとのこと。

コレって、自分がリーダーとして指針を示し、
集まる人の中心となって、皆を導いていくこととも、
何ら変わりない。

そのテクニック論として、コーチングという角度から見ても、
有効だということ。

自分を変えるというのは、他人を変えるよりはまだ優しいはずだけど、
それすらそう容易ではないのが現実。

それほど簡単に自分を変えられるなら、
世の中に私のようなデブはもっと少ないはずだし、
コロナ感染者もまた、もっともっと少ないはず。

コレを変えるには、

ホンモノに学ぶ…

コレがイチバンだと思う。

ヨーダについていけば、フォースの騎士になっていけるのに、
シス皇帝に忠誠を誓えば、成れてもダースベイダー止まりで、
先には破滅しか見えない。

もしくは、そこから光へと転生できるかどうかに、
大きな代償やストレスを伴う。

大きな回り道をすることにしかならない。

じゃ、今度は、

ホンモノを見分ける、見る目を養う…

ココにつきてくるように思う。

私が思うに、
人が成長するときとは、

手痛い失敗をする…

自分が嫌なツライ想いをしないことには、
そこから抜け出そうともがくことをしない。

その失敗を十二分に活かせられれば、
その人は成長したと言える。

そんな数々の失敗と反省から、
人を見る目が、本物を見分ける目が養われるんだと思う。

しかし、人は誰一人として、
手痛い失敗はしたがらない。

だったら、

先人の轍を学び、同じ過ちをせずにすむくらいに、
学び続けるしかない。

愚直なまでの繰り返し。

この原点から、人を変えていけるだけの道を上り詰められた人だけが、
世の中を変えていけるんだと思う。

僭越ながら、私が世の中を変えられていないのは、
まだまだ全然、足りてないから。
(どんだけ自意識過剰なんだって話はいったん横へ置いといて…汗)

自意識過剰なほどの、自己責任…

誰もアナタの代わりにアナタの人生を生きられないのだから、
究極の自己責任。

極端な話、雨が降っても自分のせい。
コロナに感染しても自分のせい。
コロナで事業がおかしくなっても自分のせい。

そのほうが幸せになれる。

何もマッチョな現実を述べてるつもりもない。
直視すべき現実なだけ。

ココを直視すること自体がマッチョと言うならば、流されて受動的に生きるしかない。
私はその選択肢を選びたくはない。

だから、自己責任での選択ができるだけの自由を確保していく。
結果、どこかで誰かのせいにする自分でいないようにと、
独立する以外に道はなかった。

それだけのこと。

ただ、人は一人じゃ生きてはいけない。

同時に、自分一人が変われたって、
一人ぼっちじゃツマンナイ。

だから、一人だけど一人じゃない。

そう言い続けて早何年。

一緒に成長速度を上げて、
平成の頃には手が届かなかった先の世界へ行きたい、
せめて想いを同じくしてくださる方々と。

結果、世の中が変わっていったなら、嬉しいし、楽しいなぁと。

追伸、
スミマセン、完全にこの業界特有のお話でもなくなってます。
でも、こういう根っこが本当に問われる時代なんじゃないかと、
改めて感じる次第です。

追々伸、
貧困で苦しんだり病気になってしまったのは全部その人の努力不足?
この業界で言えば、
コロナルールを無視して荒稼ぎしている悪質ブローカーが巻き散らした迷惑に、
巻き込み事故を食らったのまで、自己責任と思えというのか?

という厳しい考えともとられがちですが、
現実を直視すれば、実際は不平等に生まれてきているのですから、
自己責任と言えます。

貧困で苦しんで病気になった人を助けるのは、
貧困で苦しんでいないゆとりのある人々がすべきことだと言って、
アナタは見ず知らずの人を助けるために、財産をなげうって動けますか?

悪質ブローカーが巻き散らした迷惑のせいで倒れるならば、
その悪質ブローカーに賠償請求するなり、
そんな悪質ブローカーに影響を受けて倒れかねない事業自体、
止めたほうが良いとさえ言えます。

テロに巻き込まれた人に『責任』はありませんが、
その人がたとえ片手、片足を失ったとしても、
その状態で生きていくのは、その人自身でしかないってことです。

コロナで家族が感染したのち、
医療崩壊が起きて、自宅療養を迫られたとしたら、
政府を批判するまでもなく、身内で面倒見るのが当然です。

だって、誰も助けてはくれないのだから。
(助けてくれる人がきちんといるなら、家族にこだわりはない)

厳しいくらいに不平等で生まれ育っていたとしても、
時間は平等に訪れるし、
本人の努力は、また公平に結果として報われるものでもあるのだから。
(学んだこと、活かした実績は公平だという意味です)

自身に起因する責任ではなく、社会や環境の問題も含まれているのだとしても、
その人に助けが届くまでの現実は、
その人が受け入れざるを得ないのもまた、現実なんだから。

つまりは、そのくらいの意識でいたほうが、
誰かのせいにし続けるよりも、
精神的には随分、楽じゃないですかって言いたいだけです。

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