日本語教師の方へ、日本語教師のやりがいって・・・?

問題解決

ある信頼のおける方と日本語教師についてお話しました。

個人的に、この業界に居ながら、
日本語教師の世界には門外漢に等しいので、
色々と現実をお聞きしてみたくて…

キッカケは、
個人的にこの業界が、どうやったらもっとより良くなるのかと、
偉そうに色々くよくよ考えている中で、

日本語の教師の底上げに何らかの一石を投じてみるのも、
いかがなものかと、考えたからです。

ちなみに、日本語教師と言っても、
留学生をN1、N2にする日本語教師もいれば、
実習生に日本へ行ってからコミュニケーションをとるうえで、
最低限?の日本語を教える方もいれば、
今では、特定技能向けにN4合格に焦点を当てて
教育に励む方もいれば、
本当に様々です。

他にも、在留中の外国人のご子息に日本語を教えていたり、
お仕事で赴任してくる方や、そのご家族のために日本語を教えていたり、
海外の大学で日本語学科を教えている方であったり、
もうホントに場面場面で全然違うと思われます。

無論、キリがないので、
あえて、ココでは技能実習生に日本へ行く前に、
現地で日本語を教えている先生に絞ってみましょう。

(他の方も、共通する場面が多々ありそうなので、
 お付き合い願えれば幸いです。)

その先生方にお聞きしてみたい。

…向上心ってそんなにないの?

現実的に、頑張ったからって、給料が上がるワケじゃない。

宿題を出せば出すほど、採点し、個別に返答など、
指導の手間が増える割に、給料は変わらない。

どうせ、たかだか数カ月の付き合いだけだし、
そんな短い期間で、教えられることは限られてるし、
人こそ、定期的に入れ替わるけど、
『みんなの日本語』など、教えることは同じだし、

そもそも、真剣に日本語を覚えようと意欲的な生徒ばかりじゃないし、

どうせあんまり大きな意味もないのであれば、
そこまで結果など求められないのであれば、

どうせなら、生徒と仲良くワイワイやってるだけで良いなら、

そこまでムキに、自身の教育スキルを上げる必要もないし、
上げても給料変わらないし、

マジメにやればやるほど、生徒には嫌われるし、
楽させてあげるほうが、生徒の受けはいいし、
先生と生徒というよりも友達感覚のほうが自分も楽だし接しやすいし、

どうせ行って困ったことに直面しないと、
必死に覚えようとはしないし、

自分はそこまであくせく働きたくないから、
安月給でもいいやと、海外に来ているだけだし、

これ以外に外国で自分が…日本人が働ける仕事って特だってないし、

教務主任?などの上司的な管理者も、それほどうるさいことは言われていないし、

出来の良し悪しなどではなく、定められたカリキュラムさえ時間通りにこなした風であれば、
それで何の問題もないし、

そもそも、日本人の日本語教師がウチにはいるよって程度の
PRになるくらいの意味で、日本人日本語教師として採用されただけだったし、

なんなら、駐在でヒマだったから、お手伝いのつもりで、
腰かけ的に、暇なときに、駆り出されたときだけ、やってるだけだし、、、

どうせ、どうせ…

現実って、そんなものなのでしょうか。

いや、決して多数派ではないものの、
給料も十分にもらえている日本語教師もいらっしゃることでしょう。

どれだけ教えることは毎度毎度似たり寄ったりの繰り返しであろうとも、
どれだけ生徒たちが入れ替わろうとも、
真剣に接して、目の前の子たちに愛を注いで
授業に取り組んでいる方もいらっしゃるでしょう。

いや、日本語よりも、日本で困らないようにと、
生活指導や、日本人の考え方、日本人との接し方のコツなど、
教えている方も少なくないように思います。

日本語教師って、いったい、何なんでしょうか。

誠にもって個人的な主観でしかありませんが、

日本語教師のスキルが、経験値が、レベルが上がれば、

例えば、N4合格までにかかる期間が、今までよりも一カ月短くなれば、
N4合格する子たちが、今までよりも1割でも2割でも上がれば、

そもそも、日本へ行ってから困る子たちが、
そんな場面が少なくなるでしょうし、
企業側も監理団体側も助かるし、

余った時間で、余ったコストで、
もっと違うことができるし、
自身の給与も増やせるのではないかと。

いや、そんなことすら考えたこともないのでしょうか?
考えても、どうせ上司に話しても、
自分の給料など変わらないしと諦めてる方ばかりなのでしょうか?

そこまで大変な思いをしても上がる給料なんて、
微々たるものだし、上がるかどうかも分かんないし、
そもそも、たかだか数カ月でそんなに伸びる子ばかりじゃないし、
日本へ行ってただ働いて割高な給料をもらうことしか考えていない子たちが、
そもそも仕事はともかく日本語を覚えることについて
本人たちもそれだけ必死じゃないし、

…そういうものなのでしょうか。

たぶん、日本語教師に成りたてで、
初めてクラスを受け持った時には、
この子達が自分の授業を聞いて日本語を覚えるのかと思えば、
単純に純粋に、せっかくならちゃんと覚えて欲しいなぁと、
意外と不慣れな分、熱心に教えていたのではないでしょうか。

いつの間にか、職業病じゃないですが、
そういった退廃的な空気になっていってしまうものなのでしょうか。

確かに、事前教育費として、
いくらかでもちゃんと支払う先もあれば、
N4ならN4合格させられるよう育てるために事前教育費を支払っているんだとして、
結果を出さない場合には支払いをしない監理団体側もあったり、
そもそもが、事前教育費自体を支払わない監理団体もあったりと、
発注する側もイイカゲンであったり、
現場の現実を知らずに、言いたい放題であったり、
そんな面倒な背景がある場合もあります。

生徒たちも、具体的に教育費として
いくらといった身銭を切っているケースばかりでもなさそうで、
身銭を切っていない分、真剣に授業に向き合わない場合もあることでしょう。

何が言いたいかといえば、
そんなこんなな背景や現実が横たわっている中で、
それでも、日本語教師としてのやりがいを維持できる方って、
いないのでしょうか。

自分でもっと良い授業をしようとか、
そのために上手な先輩先生方の授業を見てテクニックやネタを盗もうとか、
いっそ予備校の世界のように、人気講師となって、
自分の評判で生徒を集められるくらいの先生になってやろうとか、
そこまでいって評判を聞きつける他の日本語教師を求める先へ身売りでもして、
自分で給料を上げてやろうとか、

そういう、日本語教師の世界で、
もっと良くしていこうという気概のある方って、
いないのでしょうか?

コレ、監理団体の一職員とも少し似ている世界です。

個別に世話をすればするほど、コスパ的には悪くなる一方だし、
世話してもしなくても、
失踪する奴は失踪していくし、
何か事件があれば、否応なしに途中帰国するし、
言い出したらキリがないし、

(日本語教師と違うのは)
なんなら必要最低限だけテキトーに相手して、
対応できる人数を増やしたほうが、
よっぽど粗利益の数字的に給料が上がりやすいんだからとか、

似ているように感じます。

たぶん、目の前でキラキラした目を自分に向けてくれる
若者たちの前では、決して悪い気はしないと思います。

むしろ、この子達のためにと、一生懸命に取り組む人こそが、
日本語教師として、アレコレと頑張って良い授業をしてあげて欲しいと思います。

そして、その子たちの為にも、
日本語の習得に興味関心をひかせて、
積極的、自発的に懸命に学んでくれる姿勢にすら持っていくように、
上手な先生でいて欲しいとさえ思います。

別に受入企業側を、監理団体側を楽させてあげたいなんてことは、
一切必要ありません。
ただただ、生徒一人一人の為に…

でも、現実は、そんな先生ばかりじゃないのでしょうね。

アナタはどう思いますか?

日本語教師って、どこまでどうあるべきだと思われますか?

どうすれば、日本語教師のレベルが上がると思いますか?

どうすれば、日本語教師自身が、この世界でのレベルを上げたくなると思いますか?

いくつか素人考えはありますが、
宜しければ、アナタのご意見をお聞かせ願えませんでしょうか。

それとも、日本語教師の世界なんて、ある意味どうでも良いのでしょうか。

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コメント

  1. トッケビ より:

    こんにちは。
    私は国内管理団体でも、送り出し機関(ベトナム)でも教えたことがあります。(現在求職中)
    実習生関連の日本語教育に限っての意見ですが、日ごろ思っていることをつらつら書いてみます。

    まず、実習生の多く(個人的な感覚では7割くらい)は、日本語の勉強に熱心ではありません。
    これは、まあ当然ですよね。
    面接に受かってしまえば、成績が悪くても日本には行けます。先輩からの口コミで、みんなそれは知ってます。
    (中にはひどい成績の子はキャンセルにする送り出し機関もありますが、それはそれでどうかと・・・)
    それでも6か月も勉強すれば、それなりに片言でも意思疎通ができるようになってきます。
    で、出国⇒配属前研修。
    その1か月の研修が終わった時が、だいたい日本語力のピークです。
    なぜか? 
    多くの配属先では日本語を使わないからです。(中には必要な仕事もありますが)
    日本人社員も、そこそこ話せる先輩実習生に頼ったりします。中には「仕事中に話すな」と怒られたり、
    「日本語はどうでもいい。手が早ければ」などという企業も少なからずありますね。
    それでも一部の実習生は自発的に学習を続け、帰国後の職につなげたり留学する場合もあります。(体感的には5%くらい)

    もともと、出稼ぎ目的であって、学習目的でないのですから、学習意欲の低さを非難することはできないと思います。
    それに、教える側にも非常に大きな問題があると思います。
    はっきり言って、ツマラナイ。
    カリキュラムらしいカリキュラムが無いところがほとんどですよね。
    ただ『みん日』を、できるところまで教えて日本に送り出す。
    日本の管理団体の研修では、レベルも進度も理解度も混在した実習生たちを、しかも彼らが入れ代わり立ち代わりする中で教えなければならない。(無理ゲーのようです)
    『みん日』は、そこそこよくできた総合テキストですが、どちらかというとグラマーの教科書ですよね。
    私たちが学校で英語を習ったときは、グラマーの時間とリーダーの時間があったはずです。
    最近では英会話にも力を入れているようです。
    ですが、送り出し機関では、グラマー一辺倒。リーダーに相当する授業がありません。
    ベトナム人教師が文法を教え、日本人教師が会話練習を担当という場合が多いですが、会話練習と言っても非常に稚拙でつまらないやり方をしています。
    「今日は、可能形を習いました。じゃ、可能形をつかって話しましょう! ●●さん、寿司が食べられますか?」
    「はい。食べられます。」みたいな。
    会話って、そんなものじゃないですよね。テーマも興味もすっ飛ばして、イレギュラーな会話らしい会話を排除して、ひたすら応答練習をしていたりします。
    本来なら「(生徒)寿司は、なんですか?」とか「(教師)食べたことがありますか?」「寿司はすきですか?」など、いろいろな文法項目が混在した会話にならなくてはなりませんし、当然テーマが変わることもあります。それが生きた会話のはずなのに、現地の素人教師たちは、それを拒みます。
    なぜそうなるのか?
    送り出し機関には、日本語教育のプロがいないからです。体系的に教育法を勉強した人などはいません。
    だいたい、前出の5%のやる気のあった連中が帰国して機関をつくったり、そこで教師をしたりしている。
    つまり「見よう見まね」なのです。
    そこで雇われる日本人教師にも問題があります。 もちろんカリキュラム作成や教授法の選定など主導権はとれません。経営側の言うままにするだけです。
    そもそも、プロ意識の高い日本語教師はベトナムで月1000ドルくらいで教えたりはしません。
    (中には、いらっしゃるかもしれませんね。失礼。  ですが、私は見たことがありません)
    そもそも、ベトナムでは資格も経験も求められないのです。日本人ならOKです。
    ですから、退職後は海外で国際貢献!とか、日本から流れてきたような素人が教えています。
    今はかなり日本語教師が不足していますから、日本で常勤講師になれば25万くらいはもらえます。わざわざベトナムで、という方はそれなりです。

    ダラダラと書いてしまいましたが、要するに教える方も教わる方も問題がアリアリなのです。
    さらに言えば企業も、それほど実習生の日本語力を求めていなかったりします。
    そんな中で出来ることは、管理団体から現地送り出し機関への要求レベルを上げることだと思います。
    カリキュラムや教材、教員レベル、クリアすべき課題など内容に深く関わっていくべきでしょう。
    (送り出し機関にとっては、接待やキックバックを要求されるより怖い事でしょうね)

    というわけで、私はもう日本語教師はしないつもりです。
    国内管理団体の営業(?)の職に就こうと考えています。
    教育をわかっている人間が企画・営業をすれば、かなり強力にお手伝いできるのではないかと思います。
    何より、ツマラナイ非効率の授業を半年も受けさせられる実習生たちを助けてあげたいですね。

    ダラダラと書いてしまい、申し訳ありませんでした。
    また、内容は私の偏見がかなり入っていると思いますので、あらかじめお詫びしておきます。

  2. 管理人 より:

    貴重なご意見、ありがとうございます。

    おっしゃる通りの現場の現実は少なくないのでしょうね。

    しかし、それでも日本語教師はいらないということにはなりません。
    そこには、必ず様々な意味があって、日本語教師が必要とされています。

    個人的には、そのモチベーションをどこに置いているのか。
    自分はどこに置けるのか。

    それが置けない人、定められない人が、
    テキトーに流され日本語教師として、なんとなくでやってるのでしょうし、
    そういう教師に教育される外国人側も、
    なんかこうもったいない気がします。

    お付き合いのある日本語教師の方は、
    外国人に日本語能力を向上させるために、
    外国人一人一人に自発的にモチベーションを高めさせるために、
    N3合格した場合、N2合格した場合、
    実習生3年間を過ごした後の長い人生において、
    少なからず生涯獲得賃金が、どれだけ変わってくるかについて、
    わかりやすくお金でシュミレーション計算をさせています。

    N3では、家族を養っていくことはできない。
    N2ならば、なんとか家族を養っていける。

    こういう視点を教育することで、
    ヤル気のある子には、少なからず刺激と励みを与えているようです。

    結局、仕組みややり方によっても、
    お互いに熱の入れようが変わる場合もありうるということです。

    しゃべれないよりは、しゃべれたほうが良いに決まっています。

    知恵や工夫で、乗り越えられることもあるのではと、
    少しでも諦めや考えることを停止してしまう事態が、
    良い意味で変わっていけばと願うばかりです。

    たぶん、相手も人間なので、自分のことを一生懸命に考えて接してくれている人には、
    若く純粋な分、応えようとする外国人も決して少なくないのではないでしょうか。

    日本語教師について、あまり光を当てられない部分でもあるので、
    あえて取り上げてみた次第です。

    願わくば、取り組んでいてやりがいのある楽しい仕事をしたいものですよね。

    そして、それもまた、周りのせいにすることなく、
    自分次第で変えていけることはまだまだあるように感じた次第です。

    言うは易し、行うは難し。

    それでも、言わねば始まりませんから。汗

    生意気にスミマセン。

    ご活躍をお祈りしています。

  3. トッケビ より:

    お互いに見えている景色が違うなぁ~、というのが率直な意見です。

    まず、JLPT基準の日本語力精査を止めてみませんか?
    JLPTの試験を見たことがありますか?
    同僚とも話しているのですが、JLPTって使えないよね~(TOEICのように、ある程度の基準にはなる)というのが
    共通した意見です。
    たしかに、ベトナムでもN1なら採用!N3はダメ、みたいな基準はありますけど
    現地の人間は、正直信用していません。証明書の偽造ばっかりですから。(面接したらもろバレです)

    私も、「N2取ったら帰国後の仕事は期待できる」というようなハッパをかけてましたが、今はそういう時流じゃありません。

  4. 管理人 より:

    ご指摘の意味はよくわかります。

    Nいくつを持っていようがいまいが、
    しゃべれる=コミュニケーションのキャッチボールは、
    検定で図れるものではないですからね。

    それでも、通念上、Nで図るのが一般的なので。

    N2、N1をもっていることで、スタートラインに立てる確率は飛躍的に高まるって意味ですね。

    日本語検定至上主義的意味ではありません。

    募集はN3以上などの条件表示が多いのではと思われます。
    そこでおっしゃるように、会話能力を求められるお仕事の場合は、
    実際に面接などで確認されるのでしょう。

    偽造を言い出せば、何のテストでも同じでしょうし。

    N2を取ることが目的ではなく、まずはN2を目指しましょうって『動機づけ』ですので。

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