先日から、情けない日本人の動画が、この業界のSNS界隈を席巻している。
岡山の建設会社での暴力事件。
私もまた、反面教師の事例として、
タイムラインに流され忘れられないよう、
Youtubeアカウントに備忘録として載せておいた。
正直なところ、ああいった動画は見ていて気分が悪いので、
自身の関連先に保管しておくことすら好ましいとは思いませんが、
それでも、人の振り見て我が振り直せと、
こういう実態が未だにある現実と、
ナゼ、こういうヤカラがいなくならないのかについて、
考えさせられる良い機会でもあるので、残しておいている。
「ノブレス・オブリージュ」
昔、取り上げたことのある言葉。
ソードアート・オンライン アリシゼーション 第9話 貴族の責務より、
以下、一部のセリフを引用。加筆修正して、書いてみると…
—
貴族、つまり力ある者は、
力なき者のために、
それを使わなければいけない。
という、そうだな、誇りと言ってもいい。
その誇りは、
どんな法律や規則よりも大切なものだ。
たとえ法で禁じられていなくても、
してはいけないコトは存在するし、
また逆に、法で禁じられていたとしても、
しなきゃいけないことだって、
あるかもしれない。
法律には書いてないけど、
大切な精神…マインドセット。
それって、自分の中の正義ってことですよね。
法をただ守るんじゃなくて、
なんでその法があるのか、
その正義に照らして考える。
従うよりも、
考えるほうが大切…
考えることは、人間の一番強い力だ。
どんな名剣、どんな秘奥義よりも強い。
法律やルールに違反していなくたって、
絶対に間違ってる行為もある。
だから、誰かが止めさせなきゃいけないし、
この場合、その誰かというのは…
あぁ、貴族でも何でもないけれども、僕らの役目だね。
—
知ってる人、わかっている人、
あえて言うならば、情報強者。
精神的に成熟している人が、情報弱者…つまり、未熟な人たちに色々と指し示すこと。
同じ価値観、考え方の人など一人もいないけど、
人は似通るものなので、
一つの考え方、一つのマインドセットとして、
その人が考える行為そのものを拒絶しない限り、
その人へ何らかの影響を与えるものだから。
「ノブレス・オブリージュ」
倫理的な議論では、特権は、それを持たない人々への義務によって釣り合いが保たれるべきだという「モラル・エコノミー(英語版)」を要約する際に、しばしば用いられる。最近では、主に富裕層、有名人、権力者、高学歴者が「社会の模範となるように振る舞うべきだ」という社会的責任に関して用いられる。
「ノブレス・オブリージュ」の核心は、貴族に自発的な無私の行動を促す明文化されない不文律の社会心理である。それは基本的には、心理的な自負・自尊であるが、それを外形的な義務として受け止めると、社会的(そしておそらく法的な)圧力であるとも見なされる。
法的な義務ではないため、これを為さなかったことによる法律上の処罰はないが、社会的批判・指弾を受けたり、倫理や人格を問われたりすることもある。
・・・日本人は奥ゆかしく、相手の気分を害することを恐れ、
=自分が誤解されたり、悪い印象を持たれることを怖がり、
言いたいことすら言わないことが美徳としてとらえられている面もある。
別に、面と向かって、特定の人物を非難するワケでもないのであれば、
一意見として、外へ吐き出すほうが、よっぽど健全だと思います。
先日、ある方から頂いたコメントですが、
昔から私の発信をご覧くださっていて、
どういった心境の推移や変化があったのか、
いつからか、ご自身でも発信を始めたとのこと。
別に私が自意識過剰かとイチイチ言いませんけど、
実は何かしら感化されて、SNS発信を始めた方はたくさんいらっしゃるご様子。
それはもちろん、私だけから影響を受けたワケでは無いハズ。
色んな人が、色んな角度や視点、温度で、
ご自身の貴重な経験から、発言、発信をすることは、
とっても良いコトだと思います。
それは、何よりもご自身にとって。
発信している人にしか、わからない色んな恩恵がありますから。
それこそが、「ノブレス・オブリージュ」の意味。
「情けは人の為ならず」…でもあるかも。
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