昨日のちょっとした続きです。
みんな色々抱えているから、
毎日、目の前のことで忙しいから、
ついつい、保育園の頃、幼稚園の頃に教わったことを忘れてしまう。
寄り添うとは、そもそもが、
相手を認め、受け入れることから始まる。
相手との関係性構築の始めとしてソフトスタートが自然な言葉は、挨拶。
便利かつ自然な言葉として代表的なのは、ありがとうって言葉。
そして、敵意なく相手を受け入れると言外に上手に伝わるのが、笑顔。
そこから、元気か?体調は悪くないか?故郷の家族は元気か?
仕事は問題ないか?生活にトラブルはないか?…
自然と言葉として口から出てくるのが、フツーなんですが、
ソレが出てこないという事は、
相手の立場や背景、経緯、気持ちや感情に想像が及んでいないという事。
想像もできないという事は、
知るべき人の感情や、その人の現実や、アナタ自身の実体験が足りてないという事。
知ろう、自身の様々な経験を思い出そう、
もしこういったコトに興味関心がわかなかったら、
もっと自分自身が興味関心を強く持てる業界へと転職して行こう。
バタバタバタバタ、落ち着く暇もなく…って方が多いのでしょう。
だけどね…本当は、それらも自分でコントロールできるんだけど、
してないだけなんですよね。
メンタルが、本当の意味で、落ち着いていないから、
しっかりと根を張っていないから、
保育園の頃に立ち返れないだけなんだよね。
ふと思い返して、ググってみたら、以下が出てきました。
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孔子の『論語』の中に「子曰(のたま)わく、吾十有五(じゅうゆうご)にして学に志し、三十にして立ち、四十にして惑わず、五十にして天命を知る、六十にして耳従(したが)う、七十にして心の欲する所に従いて矩(のり)を踰(こ)えず。」とあります。
『論語』の口語訳によると、「先生がいわれた。わたしは15歳で学問に志し(志学 しがく)、30になって独立した立場を持ち(而立 じりつ)、40になってあれこれと迷わず(不惑 ふわく)、50になって天命をわきまえ(知名 ちめい)、60になってひとのことばがすなおに聞かれ(耳順 じじゅん)、70になると思うままにふるまって道をはずれないようになった(従心 じゅうしん)。」となっています。
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もしかすると、ある程度の人生経験を、中身と共に経てきた大人にしか、
相手に応じた必要十分に、「人に寄り添う」ってことは、できないのかもしれない。
ただ、ラッキーな事に、今はこれだけ高度な情報化社会の環境があるので、
20代でも30代でも、孔子の言う40、50の域に達することが可能でもあります。
それくらいの速度感をもって成長と進化を遂げ続けていかないと、
時代についていけないような、大変な時に私達は生きてるのかもしれませんね。
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自分で言うのもなんですが、業界人は登録しとくと良いと思います。
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