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ロシアとウクライナと、技能実習の「制度廃止論者(人権派)」と「制度肯定論者」と…

まずもって、どちらかへ手を上げておかねばならない…
ということを申したいんじゃありません。

また、「どちらか寄り」であったとしても、
「どちらか側“だけ”」の人ばかりではないコトも、
改めて理解しておく必要があると思います。

ただ、何が何でも「“絶対”制度廃止論者(人権派)」なる人もまた、
少数ながらも、現実世界にいるんだってコトも、
理解しておく必要があると思っています。
*先日の方じゃないですよ。苦笑

そのうえで、
今度は「制度肯定論者」がイチイチ声に出して言わないコトを、
ちゃんと書いておこうとも思います。

ロシアとウクライナに例えるのは、
皮肉・批判・悪意・対立的なのかも…と懸念しつつ、
タイムリーでわかりやすいんじゃないかなって思って…
(あくまでも個人的な一意見として、ご理解、ご容赦願います)

 
ロシア(プーチンなどの意思決定権者)は、
根っこから私たちと「考え方・姿勢・優先順位・手段など」が違います。

我はこうだ。
我を否定し、我に従わぬものは、我も否定し排除する。
ソコに強制力が伴うことは警告してきた。
それを無視した結果は、アナタ側の責任だ。
相手がどうなろうと我の知ったことではない。
我は我の正しい道を突き進むことに、何ら躊躇はない。

私たちとは根っこからして違う人種なので、
「我に従わせるため」に全ての言動が実施されています。
どこまでも一方的ですね。

いくら多様性の尊重と言えど、
こういう思考の方を許容できるものではありません。
(そう、本来、尊重すべき多様性は「他人にも自分にも配慮できる人」に限るべきですね)

だって、自分の主張を通すために、
自分を否定する人を排除するので、
尊重しようがない。

ソレが私たちの常識です。

でも世界には、未だにこう言う方々もいますし、
情報化社会だからこそ、炙り出されたワケです。

 
ナゼ、ロシアを取り上げたかと言えば、
「制度廃止論者(人権派)」“寄り”ではなく、
一部の「“絶対”制度廃止論者(人権派)」は、
ロシア的だよなぁって、私は感じるからです。

私たちは、
そもそも自分たちはマトモに取り組んでるし…
救うべきはどれだけ苦労しようが、当たり前のごとく救ってきてるし…
確かに残念で非常識なバカチン共もいるみたいだけど、
そんな連中がいるからって業界を全否定されるのは心外だな…
それに、人権も大事だけど、定められてるルールを守ることも大事だよね…
だから、両方にキチンと配慮して、
ダメなもの、不適切な行為は、互いに襟元を正すべきだよね…
(つまり、人権を訴える側に問題がある場合も結構あるんですよね、実際のところ)
とか、言い始めます。苦笑
何でもカンデモ人権が尊重されないから、制度がオカシイってのも、また違ってるんじゃないかなって…

 
ですが、相手がロシア的な方々だとすれば、会話は通じません。
むしろ、話し合おうという私たちの考えや姿勢自体が間違ってる。

全ては自身の主張を通すコトにのみ、特化されているので、
相手側の意見を聞くという行為は、彼らにとっては意味がない。
全ては「自分が否定されている」と認識される。

相手がどうこうは関係ない。
「自分が正しい」のだから、尊重されて当たり前との思考回路なんだと感じてなりません。

だから、自分の主張を批判する人、否定する人は、
全て敵なんです。

彼らの中には、二項対立しかない。
是か非か。
二次元的なんです。
右か左か。

そこだけを問うているし、
是という認識以外、シャットアウト状態なんですね。
だって、自分は正しいから…。

 
ソコに対して、制度肯定論者は、
無意識にも自分の常識として、
「説得」や「理解」を求めようとする。
別の「考え方」や、他の「現実」もあるし、
私などは「部分最適」<「全体最適」とか言い出す。

極めて三次元、四次元的になります。

 
人種が違うと、残念ながら、せっかくの会話(双方向)にも意味がない。
むしろ、互いに機嫌も気分も悪くなるだけで、
何一つ良いことがない。

だから、
労働争議や調停や裁判などで付き合わざるを得なくなった場合のみ、
設けた場で平行線劇を繰り返し、
法的にジャッジしてもらうだけのコトです。

そういった強制力が働くケース以外、
接点は極力持たないようにするんです。

ぶっちゃけメンドイから…
いやそれ以前にちゃんとやってれば、
そもそも、ほぼほぼ、接点なんかデキナイので、
「触らぬ神に祟りなし」と、
我関せずに自身の業務に邁進している方がほとんど…なのが現実なんですね。

接点を持ちたくないから、
このような発言そのものも、しない。
たまにはいっかと、暇人かつ奇特な私のような存在だけ。

 
何が何でも“絶対”制度廃止論者(人権派)(強硬派)の方々が、
機関銃やミサイル、核などを持っていないコトが、
ロシアとは違って助かってます。

持ってたら、もしかすると使用してくるかもしれないから。
持ち合わせていたなら、
正にウクライナのごとく、
私たちもまた、徹底抗戦せねばならなくなる。
(そこまで日本が落ちたなら、この業界にいる意味ないっすけど。苦笑)

争いって嫌ですね、まったく。

だからコミュニケーションを図ってアウフヘーベンするって知恵を
人類は見出したのに。

会話が通じぬ相手と、いかにアウフヘーベンするのか、
知ってる人いたら、教えてください😢

諦めたらそこで終わる…

ソレができれば、ロシアとウクライナ闘争も終わらせられるかもしれないから…

 
追伸、
こう書くと、制度廃止論者を非難しているとしか受け止められないのですが、
批判があるからこそ、自らの足元も見直せる効果はあります。
(わらしべ長者的に何かしらつかんで立ち上がりたい、セコイ根性の持ち主です😅)

そもそも、救われるべきカワイソウな人もいるし、
そんな方々を無視しても構わない…と言ってるんじゃないんです。
本来、招聘した関係当事者に責任追及が及ぶべきものです。
その連中がケツまくってたら、権力機関が強制力を行使して当事者責任を負わせるべき手順が、
法治国家の基本形です。
そのうえで、
それらは警察や消防のように、公的セーフティネットで救われるべき。
ただ、「間に合ってない」ので、駆け込み寺やユニオンなどがある。
(勘違いされがちですが、駆け込み寺やユニオン全てを否定しているんじゃないですからね!)
しかし、これらもまた、
ソレ自体を商売に弱者保護をうたいながら私腹を肥やしているようなヤカラもいるから、
制度肯定論者は、一概に人権派を全面肯定できなくさせてるんですよね。
(だから、「人」の問題なんすよね)

なので、結果、蛇口自体を壊す意味は見いだせない。

ちゃんと穴の開いてないコップを用意して許容可能な量だけ、
そっとこぼれないよう丁寧に水を入れようとする側なのか、
飛び散ってしまう水滴を丁寧に優しくふき取る側なのか、
どちら側で取り組んでいくかの違いだけで、
どちらも水を大事にしようよってコトなんですけどねえ。

飛び散った水で商売しようとしてる人たちとか、
そもそもジャバジャバ飛び散らかして構わないと好き勝手やる人たち以外は。

 
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