そもそもが、小中学校の義務教育も、
「上から目線」の、
「余計なお世話」。
教育、指導、助言、提言、コンサルなどは、
全てがそういう性質を持っているもの。
大人が子供を育てる。
躾る。
先生が生徒に教える。
全部全部、上から目線の余計なお世話。
でも、人は、
世間様や社会からの「余計なお世話」によって、
育てられ、育まれ、成長を遂げる。
問題は、その手段。
ハラスメント同様に、
接する相手から、どう思われるのかが問題なのかもしれない。
あるSNSで、こんなフレーズを見つけた。
子供叱るな来た道じゃもの。
年寄り笑うな行く道じゃもの。
未熟な相手を叱り倒していれば良いというモノではない。
成熟した大人が衰えたからと、笑うものではない。
行く道を歩いてきた人は、
これから通ってくる若者たちを、
叱るのではなく、諭していく姿勢が大事なのではないか。
自ら気づいてもらう…
学びたくなってしまう…
求めてしまうほどに、
成長への興味関心を育て、面白みを伝え、
それぞれに楽しい人生を歩む機会を届けるのが、
望ましい接し方なのではないか。
行く道を歩んでいく人は、
先人を敬い、もらえるものをもらって感謝し、
更により良い世界へと発展させていくのが、
大事なのではないか。
若さゆえのエネルギーがハミ出てしまう部分もまた、
先人にケアされ、軌道修正してもらえることで、
そのエネルギーもまた、より良い方向へと加速させていく力に変えられるのではないか。
多様性の尊重とは、
若者を否定し、
先人を卑下する主張を尊重するのではない。
技能実習生を指導する姿勢を忘れない。
特定技能者に助けてもらっている姿勢を忘れない。
受入先に指導してもらい働けて収入を得られている感謝を忘れない。
「自身が望む姿勢」に、
感謝や敬意があればこそ、
相手に届き、響くモノが生まれる。
マインドセットとも言われていますが、
この業界は特に相手に接する「姿勢」が大事。
「向き合う」と言葉尻で言ってるケースも多いのですが、
同じ方向を見るには、対面ではなく、
「横に」座らないと、同じ方向は向けない。
だから、「寄り添う」という表現もしている。
いつだって受け手を主体とする、弱者寄りの優しい社会が、
今の平和な日本が選んだ道。
当然、受け手がふんぞり返るリスクも加味して、
接していく必要があるだけのこと。
それでも、不特定多数に届く手段では、
「余計なお世話」、
「上から目線」、
としか受け止められないメンタル弱者(未成熟者)は少なくない。
見たい人だけ見ればよくて、
見たくないものは見なければよい。
そう思いながらも、
せっかくなら、多数の人に見てもらって、
審判を仰ぎたくなるのが、人の承認欲求ともいえる。
エスカレートすると、
見てもらうこと自体が目的となり、
過激な表現、ワード選定などが先行してしまう。
実は「保護」も「支援」も同じように、
「したことの証明」確保ばかりが先行し、
魂が入っていない仏ばかりが量産されても、
ソレは本当に求められるべき「保護」や「支援」ではないとも思う。
結論、
上から目線の余計なお世話と、相手に思われないよう、
実施するだけの力量が必要。
そして、それらは常に「姿勢」から生まれてくるし、
にじみ出てくる。
私が個別具体的な愚痴を、王様の耳はロバの耳と、
こういうブログで吐き出さなくなってきたのは、
タイムリーネタばかり取り上げなくなったのは、
こういう想いからでもあるんだと思っている。
そういうアナウンスをしている人たちは、
他にたくさんいるから、
追伸、
私はどうも、ねじれてるので。涙
同時に、個別具体的な事ばかり追いかけ続けるよりも、
絶対に本質を理解し身につけた方が、
何にでも応用が利いて便利だから。
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フツー、一般的には流れない案内ばかりなので、オモロイっすよ。
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