アレもコレも忙しい。
何度も書類作らなきゃだし、
アチコチと連携を取るのもひと苦労。
日々の業務に追われ、現状でも精いっぱい。
とても一つ一つイチイチちゃんと考えていられないよ…
受入側で言えば、
コレは抱える膨大な業務のうちの一つでしかないのに、
イチイチ細かく対応なんかしていられない。
一人ひとりのことまで、とても深く関わり切れない。
面倒見切れないよ。
コレが現実です。
業者側で言えば、下手したら一人で100人見ているところなんか、
人ひとりも単なる記号としての数字でしか見れるわけないですよね。
受入側でも、数百人の部下を持つ身であれば、
全くもって同様です。
でもね、どんな現実があろうとも、
人ひとりが考え悩んでいるのも、またアナタがケアできていない現実なんです。
コレ、日本側で書きましたが、
送り出し側も全く同じ。
一日本語教師の想い。
一営業スタッフの想い。
事務関係の対応者の想い。
中間管理職の想い。
トップの想い。
全員、違います。
ケアできてますか?
それも十分に。
もちろん、少なくとも、業務の関係上だけであっても。
(実は十分にケア=関係性を維持するためには、
定期的かつプライベート的な会話もあった方が、目的は達成しやすいのですけどね)
私がお聞きしてみたいのは、
実のところ、アナタは本当にそんなに忙しいのでしょうか。
もっと業務の効率化が図れるのではないでしょうか。
もっと効果的なやりようがあるのではないでしょうか。
経済的な立ち回り方ができるのではないでしょうか。
この辺り、考えなくなったら終わりです。
毎日、ラットレースに駆けずり回り続けてください。
決して悪いとは言いませんが、体や心がすり減ってしまって、
ミスは起きるし、その対応もせねばならないし、
実は自分の今を客観的に見れていないから、
抜け出せない。
相手のことを考える。
コレは、自分自身のことを見つめなおし、あり方を変えていくことでもあります。
自分の時間はどうにかできるけど、
相手の時間はどうにもできませんから。
自分を変えるのはかなり大変だけど、
相手を変えるよりはよっぽど楽だから。
むしろ、自分が変わると、結果的に相手も自然と変わっていくから。
コレができないからこそ、ラットレースから抜け出せない。
目の前の仕事にただ追われるだけで、
根本的なところを改善しようとは思わない。
変えられなかったら、職場すら変えるくらいの行動ができない。
職場ごとに振り回されるくらいなら、
自分の足で独立独歩するくらいの気概や勇気は持ち合わせていない。
別にちゃんと勉強して準備して立ち方を考えれば良いのですが、
そんなの私にはできないと、最初から諦めてる。
私にはムイていない…ならばムクやり方を探して考えれば良いのに。
いや、どうも説教じみてきちゃうからやめます。汗
要は、ちゃんと一つ一つを落ち着いて深く考えて、
ナゼそうあるべきなのだろうとか、
どうしてこういう結末になってしまったのかとか、
他の誰でもない、自分の頭で考えてみるコトが、
どれだけ大事なコトなのか。
深いい~話とかありますが、
浅い、軽い人は、この業界ではどうしても軽んじられますよ。
知識がいくら豊富だからって、
体のいい御用達としてしか見られない。
色々貴重な情報を得ても、
せっかく懇切丁寧に教えてもらっても、
当の本人がダメダメならば、
貴重な情報も丁寧な教育も、
何にも実を結ばない。
逆を言えば、
自身がちゃんとしていれば、
下手な情報でも自分なりに調理工夫して美味しくできるし、
懇切丁寧に教えてもらえれば、
かなりの潜在的コストカット、タイムカット、労力カットができたうえで、
実を結ばせることができる。
誰も口を開けていれば、自動的に美味しいエサが運ばれてくるシステムは持っていません。
みんなそれをわかっているのに、
努力をしない。
努力というと構えてしまうので、努力を努力と思わなくするための、
楽しいコトへと、変換できない。
学ぶ楽しさ、気づく楽しさ、できる方々との交流の楽しさを、
理解できない。
逆に、理解できちゃうと、
イチサラリーマンでは居ずらくなってしまう。汗
どうも情報の「おもてっつら」に振り回されていて、
振り回されない自分を築くことが軽視されている気がしてならない。
どなたかから以前言われました。
私のブログは、どうも色々考えさせられてしまうことが多いと。
そうしてストレスを感じて離れていく方も多いのでしょう。
逆にマニアックな方は、面白がってくださっているようですが。汗
別に人気者になる必要はありません。
目立つ必要もないです。
だけど、関わる人をどうせなら幸せにしたいと思うのであれば、
周りに笑顔や感謝があふれる人生を送りたいならば、
自分が深みのある、厚みのある大人にならねば、
誰も相手にしてくれません。
肩書が通じるのは、最初だけです。
話を重ねてくにつれ、付き合いが長くなるにつれ、
底が知れてくると、味のなくなったスルメみたいに、
面白くもなんともなくなり、
機能的価値を求めるが為だけに付き合いが続く関係になるだけです。
定年退職したら、誰も挨拶に来なかったという、
かつてのあるあるリーマンのオチが、変わらず待ってるだけです。
一目置かれる。
頼りになる。
別にソコを目指す必要もないです。
結果、そういう側面も持ち合わせていくってことです。
つまりは、仕事が向こうからやってくる。
いつも言ってる、お金を稼ぐことが目的じゃなくて、
自分に信用や信頼があって、実力があれば、
相手を喜ばせて笑顔で感謝されるほどに助けになっているのであれば、
結果として、お金が入ってくるのが、仕事だってことです。
人は考える葦である。
〈人間は一本の葦にすぎず自然のなかで最も弱いものである。
だがそれは考える葦roseau pensantである〉。
パスカルは,人間は孤独で弱いが,考えることができることにその偉大と尊厳があるとした。
〈思考する存在〉としての近代人の精神をよく示す句。
コトバンクより。
考えれば考えるほど、人は深みも厚みもにじみ出てくるのではないかと。
あ、考えるだけじゃなくて、その土台の上に、
コミュニケーション能力もないと、
相手に伝わらないので、セットで大事なんですけどね。
正月明けドタバタの週の三連休。
少し落ち着いて色々振り返って、
深呼吸して、カフェかどこかで一人思考にふけってみるのも、
良い時間の過ごし方ではないでしょうか。
いつもと変わらぬ習慣で過ごしていたら、
なんも変わらないですからね。
追伸、
やっぱりこの業界、ココもアソコも共育なんだなぁとつくづく思います。
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