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悩み続ける可愛い奴隷から抜け出すためには

いつもの通り、ストレートに言います。

『マジメな人ほど、可愛い奴隷になりやすい。』

自分にどれだけの価値があるかは他人が決める。

確かに一方ではそうあっても、
ある意味それは、

「自分で価値を決めることを放棄している」

とも言えます。

私事で大変恐縮ですが、

ひねくれた私などは、
自分で決めた会社にいて
「会社が給料を決めるコト」で
自分で価値を決めている…とも思っていました。
給料を上げたければ、
何倍もの利益を会社に産ませられない自分の責任であり、
それが自分の実力であると。

そして、
会社なんだから、お客さんも様々なんだから、
自分が心から右だと思うことでも、
会社の方針が、左と言うならば、
どのみち会社のトップでもなかった自分が、
意見を述べたうえで、トップがそれでも左と言えば、
社内で左を向いて進むよう、取り組んでいました。

左なら左の延長線上で、
トップ以上の実績をたたき出し、
潤沢な利益を会社に産ませてからでない限り、
トップを説得できるほどの発言権はないだろうと。

今から考えれば、創業してここまで築いてきたトップを超える発言権など、
どこまで実績を積もうが、
それすら会社の実績=トップの実績となり、
あまり意味のないことでした。
残念ながら、少なくとも私がいた会社では。

また、まだまだわかっていない最初こそ、
懸命に取り組んだものですが、
そもそも自分が右だと思っているにもかかわらず、
左に進み続けることや、
その延長線上に実績を積み上げることは、
精神的に相当キツイ。

結果、積み上がるはずがない。

社内でそれなりの立場にいた私には、
誰もやりたがらないことを進んでやるべきだし、
憎まれ役も買って出るし、クレーム処理もやる。

社長の食い散らかしは、全て後片付けをする。

まぁ、使い勝手の良い『奴隷』でした。苦笑&情けない(涙)

当時は、うっすらと、
社長がイチバンのカネの奴隷の代表なんだなぁとさえ、
思っていました。

かくいう私が、
奴隷になるな!なんて偉そうなこと言える人間じゃないんです。苦笑

優先順位の全てが、『カネ』になり、
それもドンドン『目先のカネ』になっていく流れに、
どうにも追い込まれて、
結局、抜けざるを得なくなり、
退職したのですが、
それすら自分で決めていなかったと言えます。

今では独立しているので、全て、
自分で考えて、
自分で決めて、
自分で動いています。
結果ももちろん自分で享受しています。

でもね、とても気が楽。笑

当時と比べれば、300人の生活を守らなきゃとか、
自分の給料を返納してまで、
会社を持たせねばとか、
四方八方から追い込まれているような状況でしたので、
もうすっかり健全な精神でいられます。

(ちなみに、当時の社長は新規事業への挑戦が大好きすぎて、
 金のツッコミ過ぎで会社をおかしくしました。
 運転を誤ったのでしょうね。)

何が言いたいのかといえば、
この業界で言えば、誰にでも初心者の時期はあり、
様々な修行?(苦笑)は必要不可欠ですが、
それもいつまでもしがみついている必要はないのではということ。

安定給料保証という信仰の呪縛から逃れない限り、

自身の価値を決めることすら誰かにゆだねて頼ってしまっているよりは、
その為に、自分でおかしいと思うことを続けているくらいならば、

スーパーマンな人ばかりじゃないと思うので、
もがいて苦しんで考えて、
独立していくことの方がよほど適切ではなかろうかと。

独立した人同士で、集まって助け合って取り組んで行ける、
価値観の合う、寄り添い合える仲間がいれば、
別に独立しても怖くないってこと。

別に反骨精神を養えとか、
独立しなきゃ損とか、
筋違いしてお客を奪えとか言ってるワケじゃない。

価値観が違えば、そこでは自身の能力は十二分に発揮されないものだし、
誰だって自身の得意が十分発揮されれば、
ちゃんとお金の算段さえ入念に準備して取り組めば、
何とかなるものですよってこと。

アナタのまともな考え方や、譲れない価値観は、
決してアナタだけの独りよがりのことではなく、
世間を見渡せば、
共感し、同意し、共に取り組みましょうって人は
いますから。

もちろん、自分で探さなきゃならないし、
自分で行動に移せない人は、
いつまでもそのままです。

もう一つ、一切ノーリスクを求める方であればあるほど、
入念な準備をすればいいだけ。

入念な準備の仕方がわからなければ、
探し求めて学び気づけばいいだけ。

それが、『当事者意識』と言われるものだと思います。

ちなみに、経営する側の方々へもフォローしておくと、
当事者意識のある人へは、
生活の保障は自身でしてくれるので、
アウトソースしていたほうが、よほど気も楽です。

お互いに成立し、より良いスタイルへと変わっていくことは、
とても大事な世の中です。

今まで育ててやった、
裏切られた、

そう思うのは、自意識過剰以外の何物でもありません。

アナタが育てたのは、アナタが採用した責任を全うし、
アナタが求める利益を生む人財になってもらわねば、
アナタが困るからです。

そして、裏切られた、育ててやったと思えるほどの人財であればこそ、
裏切られないように、今の雇用のままでも、
安心して共に励み続けられるように、
その人財との関係を築いてこなかったアナタ自身の問題です。

「俺様が育ててやったんだから、一生俺の奴隷でいろ」と、
言ってるようなものだということを、理解すべきでしょう。

実習生などの外国人労働者や、受入企業や、送り出し機関と、
仲良く続ける努力をすることと同様に、
いや、それ以上に、仲間を大切にし続けねば、
その人財は、同じ仲間として活躍し続けてくれません。

また、一度独立させてあげたほうが、
その人財はまた帰ってくるかもしれませんし、
独立してのびのび動いたほうが、結果的に良い効果をもたらせてくれるのかもしれません。

時代も変わりゆくように、
関係性も、硬直させることなく、
変化に対応してけるよう、頭を柔らかく考えるべきでしょう。

その人財一人に振り回されるような経営をしていることが、
そもそも経営者としての力量を問われているとお考えいただくべきでしょう。

お互いに一人の人間としたらイーブンです。
どちらが偉いも、上も下もありません。

良い関係性を様々生み出せる経営者にこそ、
適正な利益が生まれ続けるため、
結果、安定した経営へと繋がっていくものと思われます。

追伸(余談)

経営者側も、人財側も、
それぞれの特徴や価値観、どういう時にどう考え、
どういう選択をするのか、
外国人労働者の採用以上に、面談による把握が必要です。

経営側で言えば、
実習生で言う数千万の買い物以上の額面の買い物です。

人財側で言えば、
数千万で自身の能力を売ることなワケです。
(もちろん、売らねばならないワケではありません)

なので、互いに気が合うのか、
相性が合うのか、
互いに求めているものを補完し合えそうなのか、
入口に立つ前に、十分、知り合わねばなりません。

ココを間違えると、お互いにとても面倒で良いことは一つもありませんから。

日本語が通じる間柄でも、とても一筋縄ではいかないことですが、
手段はあります。

長くなるので、端折って言えば、

最初から出来高やその人財の教育指導まで含めた請負契約の関係にするのか、
(事実上、労働契約とみられ、法的には厳しいかもしれません)

お互いにどんな人間なのか、少しでもわかるような、
こんなサイトやブログなどを、どこかに用意しておいて、
お互いに相手に見てもらうことですね。

それに反応する相手であれば、相性の合う確率が高まりますから。

面接のプロやメンタリストダイゴならばともかく、
面接の短時間で、互いに相手を見極めることなど、
とても難しいことでしょうから。

(写真=Thinkstock/Getty Images)

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