2020年、令和2年、
明けましておめでとうございます!
以下は、あるストーリーから加工した言葉です。
—
…私たちが望むのは、
皆を支配することではない。
「皆が笑顔で感謝し合う」という理想の下、
皆が自立することこそ望んでいるのだ。
そして、そのために必要なものが、コミュニティだ。
それも、
悪質ブローカーに代表されるような一個人だけの利益のためではなく、
一部の既得権益団体が、好き勝手に舵取りするものでもない。
まして、私たちがそれらを求めるものではない。
この業界にかかわる一人一人が主役であり、
目の前の業務に関与し、互いの利益を生むことができる。
そういう仲間が集まり、支え合い、励まし合って、
それぞれに前へ歩んでいく。
それがコミュニティだ。
コミュニティといわれても、
あまり耳慣れない漠然とした概念なのかもしれない。
だけど、皆は知っているはずだ。
一部の人間の言いなりになる不条理を。
理屈や筋や人を思い遣る感情もなく、
大切な仲間や関係者と助け合うこともなく、
外国人労働者の家族や命までを搾取される理不尽さを。
そんな理不尽が、自分が相対する相手に降りかかるかもしれない世を、
許していいのか。
残していいのか。
ならばこそアナタは、自らの足で立たねばならない。
もちろん、それには私たちも惜しみなく協力しよう。
今一度アナタに問う。
自らの自由と平等を維持するために、
責任を負う覚悟はあるか。
自らの尊厳と権利を守り抜くために、
戦う覚悟はあるか。
(おーっ!苦笑)
…
目を見ればわかる。
それは、人の業の前におのが無力さを知りながら、
それでも何かを救おうとあがく、
滑稽な紛い物の目だ。
「皆が笑顔で感謝し合う」などあきれた話。
人の業の罪深さを知りながら、
下らぬ理想にすがって、まだ苦しみたいか。
より多くを救おうとして、
どうしようもなく零れ落ちていった全てを、
キサマは覚えているのだろう。
うぬぼれるなよ、紛い物の凡人が。
俺たちに人は救えない。
やがてキサマも思い知ることになる。
この世界が、変えられるものではないというコトを。
人の業が乗り越えられないものだというコトを。
それを知ったとき、キサマは自ら人の業にひざまずくことになるだろう。
…
わかっている。
私は紛い物だ。
世の中には、現場にどっぷり組しながら、
みな、彼らにしかできない方法で、
彼らにしかできないコトをやってのけている人たちがいる。
まさしく天才。
だが、私は違う。
その気になれば誰にでもできる方法で、
誰でもできるコトをしているだけだ。
私は超人ではない。
はたして、天才でもない私は、人の業に勝てるのだろうか。
…
私は何を弱気になっていたのだ。
変わらずそばにいてくれる
変わらない仲間たちがいる。
それだけで、
超人でも天才でもない私は、進んでいけるではないか。
「みんな、これからまたやっていきたいことを伝えたい。
いいかな、では…」
—
輝く一年になりますように!
本年も、どうぞよろしくお願いいたします。
追伸
光も影も、全も個も、すべてが二律背反でどちら側かなんてツマンナイ。
人間、どちらにも転ぶし、どちらにも転がれる。
どうせ逃れられないなら、両方抱えて、乗り越えていきたいですね。
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