ある時、ある場所で、
「もう時代は誰と組むかでは既になくなってますよね、お気づきですか?」
…とご指摘くださった方がいて、
良い機会なので、どういう意味かを考えてみました。
私なりの結論から言うと、
本質は本質だけに、まったく変わることなく、
上っ面の度合いの変化が進むだけって捉えてます。
つまり、大手集約が進むから、
大手の規模効率やコンプラ担保レベルなどは、
中小にはとても追いつかないレベルになっている…
法という喫水線は上昇しっぱなしだし、
時と場合によっては、何かと大金の負担さえ求められかねない。
どれだけ魅力的で実力のある個人でも、
到底追いつく追いつかないの比ではなくなってますよね…
って感じの意味だと捉えてます。
確かに、資金力やマンパワー的な意味合いにおいては、
その通りだし、もっと2極化は進むのですが…
私が思うに、本質はやはり変わらないんです。
人間は理性で物事を判断してるようでいて、
感情でしか判断していないから。
信用でモノは売れても、信用でヒトは売れません。
売れるどころか、私はそういう先こそ、単に洗練された奴隷商人だとさえ感じてしまいます。
カルビーやコイケヤのポテチがメジャーでよく売れてますが、
それは、美味しさや製品の品質などの信用が絶大だから売れているんです。
(それでもなお、じゃあと言って他のポテチが売れていないワケではない)
そして、人は、労働者は、ポテチなどではない。
大手どころのスタッフ全てが、
「組める相手」でバラエティ豊かにラインナップが揃っているようならまだしも、
相性とか、組み合わせとか、従来の知見含めて、
とても寡占的レベルまで取り込めきれるとは限らない。
既に今までも、大手どころはあるにせよ、
大所帯のイチサラリーマンに自社の命を預けられぬと、
信頼の置ける先へと依頼している先は少なくない。
値段で動く方々は数多いれども、
大手だからとこの業界に限っては、
値段での圧倒的差別化はとても困難なのだから。
そもそもが、機械を設備投資する業界ではなく、
人が人のお世話をする業界。
介護も良い例。
大手どころはいくつもあれど、
中小零細もまたヨレヨレしてても、
その存在意義を持ち合わせている先は少なくない。
同じなんですよね、何もかも。
「寄り添う」のは、仕組みでもルールでもお金でもなく、「人」なんですから。
注:もう一つ…圧倒的な教育レベルの違いで言うなら、大手に軍配が上がるかもなんだけど、
それこそ、教育こそがコストフルなだけに、大手もどのレベルかによって大きく違います。
特に多様性の尊重を言い始めた時点で、
一律一色に染める事は、モノでも他品種なのに、
人でソレはありえない。
十把一絡げにした時点で、
人権問題とさえ言われかねない。
どこと組むのかではなく、
誰と組むのか。
相も変わらず、大中小問わず、
老若男女問わず、ホンモノとお付き合いしていきましょう。
追伸
異性とお付き合いしたことのある方ならお分かりですが、
どこの看板背負ってる異性だから、お付き合いした…方は、必ず上手く幸せになれているのかといえば、
決してそうではないように。
結婚しても、添い遂げるカップルと、
離婚するカップルがいるように。
もちろん、すぐに退職するお子ちゃまもいれば、
契約をシッカリ全うするちゃんとした大人がいたり…。
追々伸
だからって、個人、零細、中小が素晴らしいってワケじゃないし、
確率的な意味で言うなら、大手に偏り気味になっていく流れは進む一方ですからね。
強いて言えば、大手にいて、そこが成熟し許容範囲の広い人材ばかりなら、
そこが勝ちます。
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自分で言うのもなんですが、業界人は登録しとくと良いと思います。
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