“傲慢”と言われようが、感じているコトを…。
せっかくこんな私とお付き合い下さっている方々だけでも、
世間はこういう大きな動きが加速しているとわかっておいて欲しい。
時代の荒波に溺れ死んで、2極化の下流へと押し流されることなく、
むしろチャンスと川上へと流されていくように、
潮流に上手に乗って生き残って欲しい…
2極化の分かれ目は、深層に向き合えるかどうかで決まる。
具体的な目先のコトしか取り組めない先は、
落ちこぼれるべくして、落ちこぼれていく。
自業自得とは、正に…。
そういう方々は、残念ながら、
常に社会の、誰かのせいにして、
いつまで経ってもウダツが上がらない。
上がらないのは、
上げようとしないから。
全て自分が悪い。
自分の選択が悪い。
自分の生き方が悪い。
自分の考え方が悪い。
自分の日々の習慣が悪い。
運が悪いからじゃない。
周りに良い人がいないからじゃない。
何か効率的な手段を、道順を知らないからじゃない。
自分なんて…って謙遜は、自身の中では要らない。
全てを自分のせいにするコトでしか、
自分を救うことはデキナイ。
愚痴なんていくらでも吐き出せばよい。
そこから、立ち上がるかどうか。
絶望と向き合って、なおかつ、新たにまたトライしていくだけの、
心のタフネスさがあるかどうか。
世間は得てして耳障りの良いネタばかり。
やれ人権だの、
労働者の保護だの、
SDGs(持続可能性の社会実現)だの、
多様性の尊重だの、
全て、アナタはアナタのままで良いんだよ…といったワードが並ぶ。
履き違える一般大衆は、
その意図を曲解してとらえる。
いわく、
自分は何もしなくてもいい…
自分にはそのままの自分でかけがえのない価値があるんだ…
そんな自分が卑下される=尊重されないのはオカシイ…
生きづらい世の中がオカシイ…
全部、自分のせいだと受け止められないほどに、
メンタルがやられてる。
全て、きめ細かい気遣いや、相手をおもんばかるコミュニケーションができる人、
場の空気を可能な限り乱さない人こそが最大評価される世界。
刹那的なその場その瞬間しか重要視しない社会。
有り得ない…
それこそオカシイ…
人は年をとるほどに、様々な経験をしていく。
だから、年配者は敬えと昔は言っていた。
様々な経験とは、苦労そのもののコト。
お金に苦労したり、
人間関係に苦労したり、
社会の仕組みのオカシサに振り回されたり、
子育てで学べることがあったり、
人の優しさに救われたり、
色んな経験を経て積み重なり折り合ってきた経験が、
知恵や工夫を生み、
結果、成長していく。
成長した年配者からは、
若輩の経験不足の若者たちは、
たくさんのことを学べるからこそ、
年配者を敬うべきだとされてきた。
今は違う。
若者であっても、これだけ多様化した時代では、
本当に老若男女問わず、
他人から学べることが多い。
ソレが自分の知り合いとか世話になった方とか、
そういう関係性も抜きに、
情報化社会がそれを可能にしている。
先月から「根活(こんかつ)」と題して、
そういう抽象的かつ言語化が難しい社会の『深層』の一つに切り口を当てて、
この業界の行く先を見据えて、オファーを投げかけてみている。
業界人はついつい目先の水際対応に追われ、
相変わらず刹那的にしか日々を過ごしてはいない。
意味も事情も承知しているけど、
本当にいつまで同じことを繰り返し続けるのだろう。
最近思うのは、
我々、業界人がバンソーコーとして受入企業へ外国人労働者をあてがう助力をしてきたからこそ、
受入不可能だった企業とは、
その社内体制の整備に、逆に格差をもたらしているのではないか。
技能実習生や特定技能者の受入すらできない会社こそ、
人手不足に悩み、
業務の効率化や、効果的な仕組み作りに励み続け、
社内体制の整備に余念なく、
日本人の労働者を募集し、面接し、採用し続けている。
当然、入り口でのスクリーニング力は向上し、
採用後の定着力もまた、
受入不可能な企業と受入企業とでは雲泥の格差を生んでいる。
どれだけ目先のことが大事だからと言って、
日々日々、目の前の業務に取り組み続けていても、
根幹を、根っこを、具現化する様々な諸問題の大元の改善、改革に手を付けていかねば、
結局のところ、
行き着く先は、昨日まで掘り下げて見てきた、
行政処分先への転落の流れからは逃れられないんじゃないか…
そう感じてならない、今日この頃です。
————————————————————–
*お付き合い先の受入企業とは、良い関係性を持続させたい…、
そんな方はこういったセミナーを、ぜひご紹介してあげてください。
井の中の蛙…浦島太郎とさせないためにも。
————————————————————–